Ⅳ 魅せられた人々の巻 ②

木村東吉さんの「富士山と五湖の自然と暮らしに魅せられて」

至福の時を与えてくれる湖畔の夜明け

第8回目「魅せられた人々の巻」の後編です。

湖越しに何気なく見上げる富士の山に、

生きる喜びを実感する瞬間。

それが、富士山と五湖周辺で過ごすことの、

最大の魅力なのかもしれません。

(毎月25日と10日ごろにアップ。全部で6か月の予定です)

文/木村東吉

ボクの「ランニング人生」の始まり

最初はゆっくりと、ほとんど息が乱れない程度の速さで走りだす。

1㎞あたり、7分くらいか。早足で歩いて、だいたい1㎞あたり9分くらいだから、歩くのに毛がはえたくらいのスピードだ。ちなみに、箱根駅伝の選手たちは、1㎞あたり3分を切るスピードで走りぬく。

2㎞から3㎞走って、カラダが十分にほぐれてきたら少しずつスピードを上げ、最終的には1㎞あたり5分くらいのスピードで走る。

週に一度は、1㎞あたり4分を切るくらいのスピードで走る日もあるが、そうなると心臓が口から飛び出そうなほどつらく、口のなかに血の味が広がる。はな水なのか汗なのか、それとも涙なのか判然としない水分で顔がぬれ、景色がゆがむ。いったい「箱根」の連中は、どんな心臓の持ち主なんだろう。

ボクが走ることを日課としはじめたのは、中学3年生のときである。当時、好きな同級生の女子がいた。その女子もボクのことが好きだった。当時は「相思相愛」と言った。今でもそんな表現をする若者はいるのか? まあそれはいい。お互いに好きあっていた。が、好きあっていてもまだ中学生だ。そんなに頻繁には逢えない。

放課後、帰宅すると短パンに履き替えて運動靴のひもを結ぶ。手には銭湯の用具一式と着替えを抱えている。そのまま銭湯に行き、下駄箱にすべての道具を入れて、そこから走りだす。

片道3㎞ほど走ると、彼女の家にたどり着く。そこでボクは、カトリーヌ・ドヌーブ主演の映画「シェルブールの雨傘」のテーマソングを口笛で吹く。この映画は、彼女とふたりで観た初めての映画だ。

調子はずれの「シェルブールの雨傘」が始まると、彼女が窓をあけて汗まみれのボクを認めて手を振る。ボクも手を振り返す。わずか2分ほど互いに見つめあい(もう少し短かったかもしれない)、それに満足してボクは来た道を引き返す。そして、銭湯の下駄箱から用具一式と着替えを取り出してなかに入っていく。

番台のおばさんは、汗にまみれて(もちろん彼女に会ってきたから)ニタニタと笑顔を浮かべながら代金を支払う不気味な少年をいぶかしげな眼差しで見つめつつも、事務的に代金を受け取って「ありがとうございます!」と、一応の笑顔を浮かべる。

それが、ボクのランニング人生の始まりだ。

ときには、親しい仲間と走る。(河口湖畔)

ときには、親しい仲間と走る。(河口湖畔)

 

「走る」ということの奥深さ

20歳のときに大阪から上京した。で、すぐにボクシングジムに通いはじめた。別にプロボクサーをめざしていたわけじゃないが、モデルという職業がら、ボクシングのトレーニングが体型を維持するのにふさわしいと考えたからだ。というのも、ボクシングのトレーニングというのは、3分がんばって1分休む、というリズムで構成される。

まずは、縄跳びを3ラウンド(1分のインターバルを含めて12分間)飛ぶ。その後、シャドーボクシングを3ラウンド、サンドバッグを3ラウンド、そしてパンチングボールを3ラウンド、最後にタイミングボールを3ラウンドこなしてオシマイ。つまり15ラウンドのメニューをこなすことになるので、インターバルを入れてちょうど1時間のトレーニングとなる。

その間、心拍数はずっと上がったままで、いわゆる有酸素運動の要素の濃いトレーニングとなり、ムダな脂肪を燃焼させ、スレンダーなボディができあがる、というわけだ。もっとも、その厳しいトレーニングのあと焼き鳥屋でビールを呑んでいたボクは、まったくスレンダーでもなんでもなかったが。

25歳のとき、先輩モデルに誘われ、初めて10㎞のロードレースに出場した。多摩川の土手を走るレースで、48分で完走した。

「初めて出た10㎞のレースで、48分のタイムはなかなか立派だよ!」と周囲がほめる。で、お調子者のボクはますます調子に乗って言う。

「今回は本格的に走りこんだわけじゃないので、来年はきちっと練習して40分を切ります」

それを聞いて、さっきまでほめてくれていた人が言い切った。

「それはムリでしょ!」

どうしてムリなんだ? ボクシングのトレーニングは続けているが、本格的に走っていたわけじゃない。そのトレーニングに加えて、きちっと走りこめば、8分の短縮なんてそれほどむずかしいことじゃないだろ?と、ココロのなかで反論した。

ところが……。

翌年、きちっと練習をして同じロードレースに出場したが、結果は40分28秒。わずかに届かなかった。きっと40分を切るむずかしさを、さきほどの人物は熟知していたのだ。

ボクは「走る」ということの奥深さを思い知った。

で、すでにこのコラムでも紹介したが、娘が生まれた記念に、初めてのフルマラソンを完走したのだ。

河口湖に越してきた年、ボクは家づくりに追われ、半年ほど走ることを休止していたが、それ以外はずっと走りつづけている。もちろん今でも走っているし、年に一度は、フルマラソン以上の距離を走るレースに出場している。

一昨年はメキシコの山中を80㎞走るレースに出場したし、ことしの2月にはアメリカ・ユタの砂漠を50㎞走るレースに出場した。そして、そうしたレースに出場するためにも、毎朝、10㎞から15㎞のランを日課としている。

著者にとって、富士山麓は絶好のトレーニングの場。

著者にとって、富士山麓は絶好のトレーニングの場。

 

夜明けの湖畔を走る幸せ

冒頭でも書いたように、最初はゆっくりと走りはじめ、徐々にスピードを上げていき、ときには、みずからを限界まで追いこむこともある。

継続してこのようなトレーニングを続けることが可能なのは、もちろん自分自身の精神力の強さによるところが大きいが(自分で言うか!?)、それよりもっと大きな要因は、ここ富士五湖の自然の豊かさである。

湖畔を走っていても、まったくといっていいほど信号で立ち止まることはない。山中のトレイルを走っていれば、鹿が目前を横切り、イノシシが横を伴走し、猿が樹上から歓声をあげる。季節によって変化する緑の濃淡の森を駆け抜け、それよりはるかに濃淡の変化で魅せる湖上を見下ろし、富士の雄姿に鼓舞される。これ以上の環境が、ほかのどこにあるのか?

それでは逆に、ここに暮らしていて、そのようなフィジカルな暮らしをしないことは罪ではないのか?と感ずることもある。いや「罪」は言いすぎだとしても、少なくとも、この暮らしを十分に享受できてないのでは?と感ずる。べつに、すべての人に「走る」ことをすすめるわけではない。が、この地の朝の美しさは、格別である。

たとえば初夏なら、5時半ころ。薄藍色の夜明けの湖畔を走っていると、東の山の端から太陽の光が射しこみ、その光が樹々の葉を美しく輝かせる。一条の光の束が湖面に金色のきらめく帯を形成し、その金色の帯の上をカモたちが滑ってゆく。走る我々の姿に驚くアオサギが優雅に飛び立ち、明けはじめた空をトビが舞う。そして、見上げれば、いつもそこに豊麗(ほうれい)なる富士の姿が。

やはり、この美しさを惰眠(だみん)で見のがすのは「罪」である。

富士五湖に暮らす、すべての人よ。そして、この地を訪れる、すべての人々よ。どうか、夜明けの瞬間に、富士の見える湖畔にたたずんでほしい。

きっとこの惑星に生まれたことに、深く感謝する。

四季それぞれに美しい、五湖の朝を走る。

四季それぞれに美しい、五湖の朝を走る。

 

©TOKICHI KIMURA  2016

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