別荘を衝動買いしたリッチな?夫婦
ついに迎えた第10回目!
「スーパーな人々」の続きは、
富士山麓(さんろく)に別荘を「衝動買い」してしまった夫婦。
いきさつを聞いて、素直に納得&感動。
心打つ、“トウキチワールド”へご案内しましょう。
別荘、買っちゃいましたあ!
「もしかして木村東吉さん?」
「ノーム」内を区画している「サイト」の番号が書かれた看板が倒れていた。そこで、ボクはスコップを持って、それらの看板を再度立て直し、管理棟に戻ってきたところだった。
管理棟の横にはボクと同年代の夫婦が立っており、そのご主人がボクを見つけて、そう訊ねた。
泥で汚れたジーンズをはき、スコップを片手に歩いて来たところで「木村東吉さん?」と訊ねられるのは、ちょっとバツが悪い感じがしたが、いまさら、「ちょっとスーツに着替えてくるから待ってください」とは言えない。
できるだけ毅然とした態度を装って、「そうです」と答えた。が、やはりスコップ片手に「毅然とした態度」をとるのはむずかしい。
「なんでここに?」とそのご主人。スコップのことには触れなかった。
「昨年からこのキャンプ場のオペレートをしているんです」と答える。
「いやあ……、感激だなあ……。ボクはトウキチさんが河口湖での暮らしぶりを書かれた本を持っていて、その本はボクら夫婦にとっては、ほぼバイブルのような存在です」
横でエクボが可愛い奥様が笑顔でうなずく。
「バイブル」を書いた本人が、目の前でスコップ片手に立っていることは、かなり滑稽(こっけい)な光景だと思われるが、このように言われて嬉しくないわけがない。
「ありがとうございます!」とお礼を言って、立ち話を始めた。
ご夫婦は、若いころからウィンドサーフィンを趣味としているらしく、このあたりのキャンプ場にもよく遊びにきたという。最近ではすっかりと足が遠のいていたが、久しぶりに西湖(さいこ)を訪れ、懐かしいから少し散歩をしようか、ということになり、クルマから降りた瞬間にスコップ姿のボクを発見した、というわけである。
しかし、その出会いが契機となって、ご主人のほうはよく「ノーム」を訪ねてくるようになった。長身でハンサムな息子さんを伴って、ウィンドサーフィンを親子で楽しむ姿は、幸せな家族像そのものであった。
そのご主人、Kさんは出版社に勤めており、トントン拍子に話がまとまり、その会社からアウトドア・クッキングの本を出すことになった。
こうして、公私ともにKさんご夫婦とのおつきあいが始まったが、ある日、Kさんは「ノーム」にやってきて驚くべく発言をした。
「トウキチさん! とうとう買っちゃいました!」
もともと人なつっこい笑顔が魅力のKさんだが、その日はまるで少年のような笑顔で宣言した。
「いったい何を買ったんですか?」と、ボク。
「別荘です!」
一瞬、この人は何を言っているんだ?と思ったが、努めて冷静さを装い訊ねる。
「別荘って、いったいどこに?」
「鳴沢(なるさわ)です」と、Kさんは笑顔を絶やさない。
「別荘の衝動買い……、ですか?」
「はい! まさしくその衝動買いです」と、相変わらず笑顔だ。
じつは、Kさんはポルシェのカイエンに乗っている。奥様のクルマはボルボのステーションワゴンで、このご夫婦はタダモノではないなと日頃から感じていたが、まさか別荘を衝動買いするとは!
ボクは相変わらず冷静さを装いつつも(自分で冷静さを装っているつもりでも、きっと驚きは隠せなかったにちがいない)、「それじゃあこれからますます、ここに来る機会がふえますね」と、笑顔で応えた。
衝撃の告白
ところで、正直に言って、河口湖周辺で美味しいと思えるレストランや居酒屋を見つけるのは容易ではない。
「お! この店、なかなか行けるぞ!」と思う飲食店は、ことごとく短期間で看板が変わってしまう。その大きな原因と考えられるのが、「吉田のうどん」の存在だ。
「吉田のうどん」については、また別の機会に詳しいことを述べるつもりだが、なにしろ量が多くて安価である。500円も払えば、腹がいっぱいになる。学生・生徒たちが学校帰りにうどんを食べるのは、この地ではまったく珍しいことではないし、学生に限らず地元の人々はよくうどんを食べる。
だから、はっきり言って、味うんぬんではなく、いかに安くてボリュームのある食を提供するか?ということが、この地で飲食店を続けていくうえでのキーポイントになる。
が、そんな中で、たった一軒、ボクのお気に入りの居酒屋がある。地元のご夫婦が経営している居酒屋だが、料理に創意工夫が見られ、価格もリーズナブル。夫婦の人柄も、そろっていい。
その居酒屋の存在をKさんに教えたら、彼らは毎週末のように通うようになった。
「一度、一緒に行きましょう!」と誘われて行ったら、紹介したボクより馴染みになっていた。まあこれは人なつっこいKさんの魅力のなせるワザだと思うが、Kさんのキープしている焼酎のボトルを出してきて、我々は大いに呑んだ。
「トウキチさん、このあと、鳴沢の我々の別荘に遊びにきませんか?」とKさん。
そう言えば、行く、行くと約束しながら、まだ一度も訪問していなかった。その居酒屋で飲食したあと、その足で別荘にお邪魔することにした。
Kさんご夫婦はファッションセンスもいいが、別荘のインテリアなどもとてもオシャレで、優雅に寛げる空間が我々を迎えた。
居酒屋で焼酎を呑み、Kさんの別荘でウィスキーをいただき、かなりいい気持ちで酔ったときに、Kさんがショッキングな話を始めた。
「じつはね、数年前にうちの娘が亡くなりまして……」
酔いが一瞬にして醒め(と言っても、相変わらず酔っていたが)、ボクは姿勢を正した。
与えられた人生を楽しもう!
「脳腫瘍だったんです」と言って、小さなフォトフレームを手渡してくれた。
そこには愛くるしい表情を浮かべる、10歳前後の少女が写っていた。こんな可愛い盛りの娘を亡くすことは、そうとうつらい経験だったにちがいない。
「トウキチさん、ボクら夫婦のことを金持ちだと思っていたでしょう? クルマも派手だし、別荘も衝動買いするし!」
Kさんは、いつもの笑顔でボクを見つめる。しかし、すぐに哀しげな表情に変わって続けた。
「娘を亡くしたあと、妻は毎日のように泣いていたんです。ボクはもうどうすることもできないで……。
でもね、ある日、夫婦で話し合って、このままじゃいけないってことになったんです」
ちらりと見ると、Kさんの目に涙が光っている。
「だってうちには長男もいる。我々が毎日嘆くのは、遺された彼のためにもよくない。彼だって妹を亡くした哀しみにあふれているはず。
我々は、もっと強くならなければ」
音楽も、時間も、すべてが停止したような雰囲気に包まれた。ボクは言葉を失くし、ただただKさんの言っていることに耳を傾けるしかなかった。
「だから、夫婦で約束したんです。我々に与えられた人生を楽しもう!って。欲しいクルマも、別荘も、旅も、すべてを楽しもうって。
そうすることが娘の供養になるって」
正直に言って、Kさんの指摘どおり、すごいお金持ちの夫婦だと思っていた。それだけではない。さきほども述べたが、幸せな家族像を絵に描いたような人たちだと思っていた。そんな哀しみを抱えていたなんて、微塵(みじん)も感じることができなかった。
一瞬、覚めた酔いが、再びボクのココロとカラダの隅々にまで巡り、人生の深淵を見つめていた。
単純な人生なんてありえない。すべてに理由があり、すべてに意味があるのだ。
気がつくと、Kさんはまたいつもの人なつっこい笑顔に戻り、「もう一杯つくりますか?」と、ボクのグラスを指差した。
「もう少し呑みますか!」と、ボクも笑顔でグラスを差し出した。
小さいフレームの中で、永遠の少女が微笑んでいた。
©TOKICHI KIMURA 2016