【最終回】 Ⅵ 北麓の人と食べ物の巻⑫

木村東吉さんの「富士山と五湖の自然と暮らしに魅せられて」

「吉田のうどん」は、我が第3のソウルフード!?

いよいよお約束の最終話は、「吉田のうどん」。

20年余にわたる富士北麓(ほくろく)での暮らしは、

大阪に生まれ、首都圏で活躍した東吉さんの身と心に、

どんな変化をもたらしたのでしょうか?

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名物「吉田のうどん」は、なぜ安い?

この地で飲食店をやっていく難しさについては、以前にも話したことがある。そのときにも言ったが、その大きな原因のひとつが「吉田のうどん」の存在だ。

関西人のボクにとっては「うどん」と呼べないような代物だが、地元の人には絶大なる人気がある。実は我が子たちも「吉田のうどん」の大ファンで、今では嫁いで静岡の御殿場で暮らしている長女も、東京で暮らしている長男や次男も、地元に帰ってくると「きょうのお昼はうどんでも食べてくるわ」と言って、嬉しそうにでかける。

いったい何がそんなに魅力なのか?

まずは、価格である。

とにかく安い。まあ、どこの土地に行ってもうどんは安価な食べ物であることにはちがいないが、ここには一杯300円ほどで食べることのできる店もある。

なんでそんなに安く提供できるのか? それには優れた、ある高度なカラクリが秘められている(ちょいと大げさか)。

まずは、家族経営している店が多く、要するに人件費が限りなく「タダ」に近い。加えて、自宅の一部を店舗にしている店が多いので家賃がない。ご存じのように、食材というのは普通そんなに高価なモノではないし、メインの食材が小麦粉ならば、なおさらのことである。それに、多くの店がランチタイムのみの営業で、14時過ぎ、あるいは材料がなくなった時点で店を閉めてしまう。つまり、「在庫」を抱えない。

このように、非常に効率よく運営されている店が多いのだ。大阪商人真っ青なくらいの商魂である。

どんなメニューも、500円以下!

どんなメニューも、500円以下!

 

うどんカルチャー・ショック

ボクが初めてこの「吉田のうどん」に出会ったのは、自宅を建設中のときのことだった。我が自宅は7割方を本職の大工さんに建ててもらい、壁塗り、棚作り、塗装作業など、仕上げは自分たちの手で完成させたのだが、ある日自宅で作業をしていたら、我が家の建築士が現場にやってきて、「吉田のうどん」を食べに行かないか? と我々を誘ったのだ。

連れてゆかれたのは民家の一階部分が店舗になっている店で、ちょうどお昼どきということもあり、近所で働く人々でにぎわっていた。

注文をその建築士に任せると、間もなくテーブルの上にうどんが運ばれてきた。汁は濃厚そうな色で、関西の繊細な色合いの汁とは大違いだが、まあこれは東京のうどんで慣れっこだ。が、その麺の太さには、小さな驚きを覚えた。で、その太いうどんの上に、茹でたキャベツが盛られている。

大阪の素うどんならばアサツキが彩られ、気前のいい店なら天かすが無料でついてくる。透明感のある麺に、これまた透明感のある汁、そして繊細な雰囲気の緑のアサツキ。ところが「吉田のうどん」ときたら、褐色の汁にぶっとい麺、そして彩りを無視したかのような、茹でたキャベツ。

ボクは口にする以前に、この食べ物に対して軽い侮蔑(ぶべつ)を覚えたが、一口すすってさらにその思いを強めた。これじゃ、うどんというよりまるでラーメンだ。なにしろ味が濃い。それに練った唐辛子の塊でひどくむせる。一気に汗が噴き出した。

このときは、まだこの地に来て2か月目くらいだったが、のちのち、この地の人々が唐辛子を好む傾向にあることを知った。

要するにこういうことだ。

富士五湖地方は、もっとも標高が低い河口湖で830メートル、もっとも標高の高い山中湖では1000メートル近くもある。厳寒期の気温は、日中でも0度に届かない日が多く、夏の避暑地としては最適の場所であるが、冬場の冷え込みは、首都圏などに暮らす者の想像を絶する。

そんな極寒の地で暮らす者にとって、身体を温める唐辛子の存在は不可欠である。

太くて硬い麺が、「吉田のうどん」に共通する特徴。

太くて硬い麺が、「吉田のうどん」に共通する特徴。

 

身と心に染み入る富士北麓の暮らし

ここで「吉田のうどん」の由来について、ウィキペディアから引用、紹介したいと思う。

「富士北麓は、冷涼な気候と溶岩に由来する土壌ゆえに、稲作が困難だった。そのため山麓地域では水掛麦による麦作が行われ、伝統的に小麦を中心とした粉食料理が日常食とされていた。

江戸時代には富士講が隆盛を極め、北麓地域では吉田宿や河口宿など、富士参詣者相手の御師(おし)町が成立、そのなかで参詣客を相手にうどんも売られはじめる。しかし、専門の店舗を構えたものではなく、一般の居住用家屋を昼どきだけ開放してうどんを供したといわれる。今でもその名残で、のれんも看板も掲げない居住家屋の一階居間を利用した店舗が多く見られる。

また、江戸末期から昭和にかけて郡内地方における基幹産業は、女性が携わる養蚕(ようさん)や機織(はたおり)だった。一方、耕作地に恵まれない土地柄ゆえに男性はよその土地に行商に出、生活の糧を得る。行商から帰り、家で骨休めする男性たちは、養蚕や機織で忙しい女性に代わって炊事を受け持ち、昼食としてうどんを打った。さらにハレの飽食感を演出する必要性があり、コシ、硬さ、太さに特徴を持つ吉田のうどんが育まれたといわれている」

つまり、肉体労働で腹をすかせた男たちが、より満腹感を得るために、コシのある太い麺を、濃厚な汁で満たしたわけである。山海の珍味に恵まれ、小腹の足しにうどんをすすった四国や関西とは、根底から事情が違うのである。

この地には「ほうとう」という麺料理があるのも全国的に有名だが、ほうとうにしてもかぼちゃなどをたっぷりと入れ、満腹感を得られるようにしている。稲作が不可能な地にあって、これらの粉食料理は、生きていくために不可欠な料理であったのだろう。

だがやはり、この地でも「四国の讃岐うどん」の人気は高い。富士吉田警察署の並びにある「讃岐うどん」の店も頑張っているし、河口湖に古くからあるショッピングセンターにテナントとして入っている「讃岐うどん」のチェーン店も、いつもにぎわっている。もちろんボクも、どちらかと選択を迫られれば、なんの迷いもなく「讃岐うどん」をチョイスする。

だが、ときどき、ホントのたまーに、どういうわけか、「吉田のうどん」を無性に食べたくなることがある。寒い冬の昼下がり、むせ返るほどの量の唐辛子を汁に溶かし、茹でたキャベツと硬くて太い麺とともに箸に挟んで口に運び、丼を抱えるようにして濃厚な汁を飲み込む。するとまた、寒空のもと、元気に飛び出して行く活力が湧いてくる。

どうやら、21年もの暮らしを続けるうちに、我が肉体と精神の中に、生まれ故郷の大阪、青春時代を過ごした首都圏の色とともに、この富士北麓の暮らしが、色濃くにじんできたみたいである。

 

……さて、本連載も今回でおしまい。

この地の自然に魅せられた多くの人々や、ちょっと風変わりな暮らしぶりを紹介してきたが、誰よりもこの地の魅力にのめり込んでいるのは、言うまでもなく、ボク自身なのである。

ご愛読、ありがとうございました!

秋が深まり寒さが増せば、ますますうどんが恋しくなる。

秋が深まり寒さが増せば、ますますうどんが恋しくなる。

 

©TOKICHI KIMURA  2016

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