Ⅲ 山の魔力の巻 ①

木村東吉さんの「富士山と五湖の自然と暮らしに魅せられて」

① なぜ人は富士山にくり返し登りたくなるのだろう?

木村東吉さんの連載エッセー、第5回目は、

「山の魔力」の前編です。

人類の歴史とともにあったであろう「山登り」。

とりわけ、「聖なるお山」富士山に登ることの

奥深い魅力の源泉を探ります。

(毎月25日と10日ごろにアップ。全部で6か月の予定です)

文/木村東吉

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富士山に二度登るバカ

「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」

なんだよ! いきなり。

いや、富士山のことである。

日本人として、この山に一度も登らないのは愚かなことだ。それはわかる。では、なぜ二度登るバカなのか?

かつて『日本百名山』を記した深田久弥は、富士山のことを「偉大なる通俗」と称した。この深田の言葉に、「二度登るバカ」の本意が含まれている気がしないでもない。

「八面玲瓏(れいろう)という言葉は富士山から生まれた。東西南北どこから見ても、その美しい整った形は変らない。どんな山にも一癖あって、それが個性的な魅力をなしているものだが、富士山はただ単純で大きい。それを私は『偉大なる通俗』と呼んでいる。あまりにも曲(くせ)がないので、あの俗物め! と小天才たちは口惜しがるが、結局はその偉大な通俗性に甲(かぶと)を脱がざるを得ないのである。

小細工を弄(ろう)しない大きな単純である。それは万人向きである。何人をも拒否しない、しかし又何人をもその真諦(しんたい)をつかみあぐんでいる。幼童でも富士の絵は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている。生涯富士ばかり撮って、未だに会心の作がないと嘆いている写真家もある。富士と睨めっこして思索した哲学者もある」(深田久弥「わたしと富士山」より抜粋)

さすが山の魅力を知りつくした深田の言葉だけあって、富士のもつ魅力を端的にあらわしている。

「どんな山にも一癖あって、それが個性的な魅力をなしているものだが、富士山はただ単純で大きい」

6合目を過ぎたあたりから草木もない。「そりゃ当然だ。その標高なら樹林限界だ」と指摘されるかもしれないが、3000メートルを超える北アルプスの山々には、同じ標高でも美しい草木が散見される。

そこに流れる川、沢もない。つまり、さまざまな生命を宿ることを拒んでいる。そういう厳しさをもちつつ、すべての日本人のココロの拠(よ)り所でもある。

そして、登りはじめていきなり頂上が見える。頂上は見えるが、行けども行けども、そこにたどり着くことができない。ある意味において、「退屈」である。

たとえば、日本で6番目に高い山、「槍ヶ岳」を例にとってみよう。

遠くの山々から、その美しい単独のとがった峰が見え、その瞬間に誰もが迷わずに「ほら! 槍ヶ岳が見えるよ!」と歓喜する。そこのところは富士山も同様である。が、槍ヶ岳に登ろうと取りついても、その頂上はどこかに隠れてしまう。そして、その姿を追い求めて歩くうちに、妖艶な美しさをもつ気まぐれな女性のように、チラリと姿を現しては、すぐに視界から消えてなくなる。で、こっちが万年雪の隙間からわずかに息づく生命の美しさに耳を澄ませていると、いきなりその姿を現し、己の存在を誇示する。

そんな「鬼ごっこ」のような楽しさは富士にはない。最初から最後まで己のすべてをさらけ出し、それでいて拒みつづける。そこに女王のような傲慢さえ感じさせる風格があり、威風堂々たる威厳が存在する。

「偉大なる通俗」さえ、ほめ言葉に聞こえてしまう。(河口湖)

「偉大なる通俗」さえ、ほめ言葉に聞こえてしまう。(河口湖)

 

頂上が見えかくれするのが、たいていの山。(槍ヶ岳)

頂上が見えかくれするのが、たいていの山。(槍ヶ岳)

 

アメリカのトレイルで「旧根場通学路」を思う

話は変わるが、富士五湖の中心に位置する西湖の北岸に、「旧根場(ねんば)通学路」という、全長約3㎞ほどのトレイルがある。このトレイルは1961(昭和36)年「西湖北岸道路」が開通されるまで、西に位置する「根場地区」と、東に位置する「西湖、長浜地区(河口湖の最西端)」を結ぶ、重要なトレイルであった。とくに、「根場地区」の学童たちが通学する重要な道であった。

ところが、いまでは誰もが「西湖北岸道路」を活用し、いつしかそのトレイルはすたれていった。その道を歩くと、富士山の頂上がところどころで見え隠れし、太陽の光を受けて銀色に輝く西湖が美しく見える。夕暮れどきには黄金色に輝くこともある。

そんな美しいトレイルだが、倒木で路がふさがれ、藪(やぶ)によって喪失し、ところどころ崩壊して危険なところもある。

数年前からこのトレイルに入り、倒木を脇にずらし、藪を刈り、目立たぬ道標をつけるという作業を個人的におこなっている。いわゆる「道普請(ぶしん)」というヤツである。

人はよく「手つかずの自然」と、それがいかにも貴重であるかのように口にするが、人が入らぬ自然は、樹木に藪や蔦(つた)がからまり、朽ち、鬱蒼(うっそう)とした迷路をつくり出す。そのことの善悪は別にして、それはけっして美しいモノではない。とくに、かつて人々の暮らしに密着し、その恩恵を与えてきた路ならば、なおさらみじめである。

じつはいま、これをラスベガスのモーテルの一室で書いている。きのうまで「ザイオン国立公園」のトレイルの数々を歩いてきた。それまでは「ブライスキャニオン国立公園」、「モニュメントバレー」といった公園のトレイルを、ときには走り、ときにはゆっくりと歩いた。

「ブライスキャニオン国立公園」は谷底に降り、また登ってくるというパターンのトレイルで、逆に「ザイオン国立公園」のそれは、登って、再び降りてくる、というパターンのトレイルが多い。あるいは「リム」と呼ばれる、断崖絶壁の縁を歩くトレイルも存在する。

日本で「ハイキング」というと、それはひたすら頂上をめざして登山するのをさすことが多いが、こちらでは下って登る、登って下る、あるいは標高差なしに歩きつづけると、さまざまなパターンが存在する。

そういう意味においては、「旧根場通学路」のように、その目的が頂きをめざすことではなく、生活路の一部として、あるいは「そこを歩くことじたいの愉しみ」として復活させることは、日本の「ハイキング文化」の裾野を拡めることにおいて、意味のあることかもしれない。

山を歩くことの楽しさの原点を教えてくれる、「旧根場通学路トレイル」。(西湖)

山を歩くことの楽しさの原点を教えてくれる、「旧根場通学路トレイル」。(西湖)

 

富士登山の魅力は底なし

話題を富士山に戻そう。

冒頭の「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」という言葉だが、一昨年、アリゾナのセドナという町の雑貨屋で、そこの主人(もちろんアメリカ人だ)が口にして驚いたことがある。彼はその昔、軍職にあって横須賀に駐留していたことがあり、そのときに聞いた言葉だという。

「確かに……。その言葉は富士山をよく表しているかもしれない」と、彼はニヤッと笑った。

そしてボクに尋ねた。

「あんたはいったいどっちだ?」

ボクもニヤッとして答えた。

「二度登ったバカだよ」

三度目の富士山はどのように感じるのか? それは、いまはわからない。いまわかっていることは、富士山頂上をめざすより、五合目を一周ぐるっとつながっていた「お中道(ちゅうどう)」を歩くことのほうが、自分にとっては愉しい、ということだけである。

もちろんこの「お中道」も、「旧根場通学路」のように、いまでは「大沢崩れ」によって閉ざされ、富士を周回することは不可能である。だが、その一部の路を歩けば、ダケカンバの樹々の間にシャクナゲが咲き乱れ、富士五湖の全容があらゆる角度で満喫できる。

「偉大なる通俗」の解釈は、人それぞれであろう。だが、富士山の魅力は、けっしてその頂上に立つことだけではない。20年以上この地に暮らしていて、それだけははっきりと言えるのである。

登頂によって得られる達成感は、富士山の魅力の、ほんのひとつ。(写真はお中道を走る筆者)

登頂によって得られる達成感は、富士山の魅力の、ほんのひとつ。(写真はお中道を走る筆者)

©TOKICHI KIMURA  2016

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