Ⅰ キャンピングライフの巻②

木村東吉さんの「富士山と五湖の自然と暮らしに魅せられて」

②ボクが「キャンピングライフ」をすすめるわけ

アウトドア関係はもちろん、
マルチな活躍をする木村東吉さんの連載エッセーは、
好評のうちにスタートしました。
今回のテーマは、「キャンピングライフの効用」。
そのほんとうの魅力は、どこにあるのでしょうか?

(毎月25日と10日ごろにアップ。全部で6か月の予定です)

文/木村東吉

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キャンプ場を台風が直撃した一夜

我々が「ノーム」の運営を始めて2年めの夏。

通常なら、1年でもっともキャンプ場が混雑するはずの旧盆の休み。富士五湖地方を台風が直撃した。

一般的な統計だと、お盆休みにキャンプを企画するキャンパーは初心者が多い。ベテラン・キャンパーになればなるほど、混雑の時期を避けて季節はずれのキャンプを楽しむ傾向が強い。

事前の予報で台風の直撃がわかっていたため、キャンセルする初心者キャンパーも多く出たが、それでも強行するベテラン・キャンパーたちもいた。そして、その多くは、1年目にも来てくれたリピート・キャンパーたちだ。

で、残念ながら、予報どおりに台風は「ノーム」を襲った。

どれくらいすごい台風だったかといえば、次のエピソードがいちばんわかりやすいだろう。

湖畔でキャンプをしていたベテラン・キャンパーのグループのひとりが、タープのポールを倒して荷物の上に直接かぶせ、準備万端な状況にして隣接する日帰り温泉に行くとき、ボクに声をかけた。

「湖畔に置いてあるカヌーが、何艘(そう)か風で飛ばされていますよ!」

もちろんカヌーが飛ばされるくらいだから風も強く、雨も激しく降っていたが、アシスタントのカホを伴って(こんな状況のなかで女性を連れてゆくのは無謀だとは思うが、カホはそこらへんの男どもより、こういうとき頼りになる)飛ばされたカヌーの回収に行った。さきのキャンパーの言っていたとおり、カヌーが5艘、隣のキャンプ場の浜に転がっていた。

カホとふたりで25kgほどのカヌーを持ち上げ、それをカヌーラックに載せようとした瞬間、カヌーもろともふたりは飛ばされそうになった。実際に45 kgのカホの体が、一瞬、宙に浮き上がったのをボクは見のがさなかった。が、45 kgの小柄な肉体ながら、カホはベンチプレスで50 kgを挙げる力持ちである。ぐっと耐えてカヌーをラックに置いた。我々は素早く残りのカヌーを元の位置に戻し、固定するラチェットを締め直した。

ふたりとも全身ずぶぬれ状態だが、そのついでに場内を見まわった。幸いなことに、湖畔以外は強風の影響も大きくなく(それでもタープが破れたキャンパーもいたが)、なんとか皆、この悪天候に耐えていた。

ケイゴと相談のうえ、ホテルの施設であるBBQ(バーベキュー)エリアを開放してもらい、その日の夕食準備などは風雨をしのげるBBQエリアを使ってもらった。「不幸中の幸い」とはまさにこのことで、BBQエリアに集まったキャンパーたちは、初対面の家族どうしながら、うちとけて夕食の時間を過ごした。

夏には多くのキャンパーでにぎわう「ノーム」。

夏には多くのキャンパーでにぎわう「ノーム」。

 

「生きのびた」者どうしの連帯感

その日の夜遅くに台風は過ぎ去り、翌日は何事もなかったように湖畔をまぶしく明るい太陽が照らした。

過酷な自然の脅威のなかを生きのびたキャンパーたちは、口々にきのうの台風のすごさを(ちょっと自慢気に)話し、被害状況などを確認しあった。これまであいさつさえ交わさなかったキャンパーたちが、笑顔でそれぞれの「武勇伝」を語った。

そこには所属や立場の違いなど、いっさい存在しなかった。どういう職業の、どういう立場で、どこに住んでいるのかなどは、まったく関係なかった。あるのは猛烈な風雨に耐えた者どうしとしての連帯感であり、それに耐えた自信であり、再び享受する自然の温かさに対する感謝であった。

その姿に、人間本来の根源的なつながりが、かいま見えたような気がした。

キャンプは、ときに人を哲学者にしてくれる。

キャンプは、ときに人を哲学者にしてくれる。

 

富士のふもとでキャンプするということ

話は変わるが、いまから22年前、1994年の夏。ボクは現在暮らす河口湖の湖畔の土地を購入した。その翌年、我々家族は横浜をあとにして河口湖に移り住んだ。

土地を購入した当時、家が建つまで我慢できずに、自分の土地で何度かキャンプをした。キャンプをしながら、「どの方角から太陽が昇るんだろう?」「夕陽はどんなふうに山を紅に染めるのか?」「月はどんなふうに夜の湖面を銀色に輝かせるのか?」などと想像をふくらませ、山の懐に抱かれて野宿したものである。

建設予定地でキャンプはしたが、さすがにその土地で煮炊きするわけにもいかず、なじみの居酒屋で夕食などはすませた。その居酒屋は、富士五湖でキャンプを楽しむようになって通いはじめたところだ。

「土地を買ったそうじゃないか」と、居酒屋のご主人。「来年には家も建てるんだって?」と、焼き鳥をテーブルに置きながら質問する。「どのあたりに買ったの?」。

ボクは正しい住所と、河口湖との位置関係をそのご主人に説明した。するとそのご主人は、目をまん丸に見開いて言った。

「えー! じゃあ○○村のなか?」

その居酒屋は当時、河口湖「町(まち)」にあった。「平成の大合併」により、いまでは「○○村」と「河口湖町」は「富士河口湖町」に編入されて一緒になったが、当時は「町」と「村」であった。

「あの村じゃ……。人間関係もたいへんだぞ!」とご主人。

ちょっと待って! その居酒屋とボクの暮らす予定の場所は、直線距離にして5kmほど。横浜から来たボクにとって、どういう違いがあるのか、まったく理解できない。河口湖周辺の町村に、そんなにも大きな隔たりが存在するのか?

だが実際に暮らしはじめて数年後に、その違いを痛感することになる。そして、それは、ここに暮らして21年経過したいまでも、否応なしに、無意識のうちに、えたいの知れない巨大な塊(かたまり)となって、不気味に存在しつづけるのである。

いや「えたいの知れない」というのには語弊(ごへい)がある。理由を探っていけばそれはいくらでも挙げることができるし、そのひとつひとつが、ある意味において納得できることばかりである。

富士五湖は高地にあり、もっとも標高の低い河口湖で836m。もっとも高い山中湖では、1000m近くに達する。高地だから当然のこと、夏は涼しい。だが、冬はめちゃくちゃ寒い。21年の暮らしのなかで、氷点下が15度近くになったことは何度もあるし、氷点下15度の日が五夜連続すると、河口湖は全面結氷するといわれるが、21年の間に3回、全面結氷した。そうなると水道も凍る。

そうした冬の厳しさは全域で共有できるものの、場所、場所によって湖からの恩恵があったり、なかったり。あるいは日当たりがよかったり、悪かったり。さらには、親類縁者の社会的地位が強かったり、そうでもなかったり。よくも悪くも「おらが村」意識が強く出る。

かつて人は、「火を操る」ことで他の動物たちより優位に立ち、その後、さまざまな「道具」を使うことで地球上の生きものの頂点に立った。だが、現代社会ではその「道具」を持ちすぎることによって、人々の間に不平等や格差が生まれ、それは偏見へとつながっていく。

けっして推奨できることではないが、 たまには台風の直撃するキャンプ場でシンプルな道具だけで自然の猛威と向きあい、人々の愚かさについて想いを馳せてもいいかもしれない。

キャンピングライフの「成果」は、想像以上に豊か。(写真は河口湖)

キャンピングライフの「成果」は、想像以上に豊か。(写真は河口湖)

 ⒸTokichi Kimura  2016

木村 東吉(きむら・とうきち)

1958年、大阪府生まれ。モデル、エッセイスト、アウトドア関連企業のアドバイザー。高校中退後、大阪でモデルとして活動。79年からは、『ポパイ』『メンズクラブ』などの表紙でも活躍した。30代に入ってからはアウトドアに軸足を移し、日本人として初出場した世界最高峰のアドベンチャーレース「レイドゴロワーズ」をはじめ、数々の大会に出場。その経験を生かし、富士五湖と周辺の山々を舞台とする「ラウンド富士」などのアドベンチャーレースを主催するようになるとともに、オートキャンピングブームの火つけ役となった。95年からは河口湖の西岸に居を移し、雑誌や新聞への執筆や取材、テレビ出演、講演、西湖(さいこ)北岸の「ノーム」におけるキャンプ教室の指導など幅広く活動。著書は、『親子で楽しむアウトドア・クッキング』(日本放送出版・2000年)、『森と湖の生活』(光文社)、『こんな暮らしがしたかった』 (山と溪谷社・以上01年)ほか多数。

木村東吉

木村東吉

 

 

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