Ⅰ キャンピングライフの巻①

木村東吉さんの「富士山と五湖の自然と暮らしに魅せられて」

 ①「ノーム」はアウトドア界の梁山泊をめざす

モデル、エッセイスト、企業アドバイザーなど、多彩な顔をもつ木村東吉さん。

現在は、富士山と富士五湖を拠点に、日本じゅうを飛びまわっています。

そんな東吉さんが、登山やキャンプ、トレッキングはもちろん、

さまざまなアクションを通して得られる「果実」をレポート。

仲間たちとの交流のようすや、地域にまつわるエピソードとともに、

自然のなかで過ごすことの楽しさや喜びが、ストレートに伝わってきます。

新生「ノーム」の誕生秘話

「ケイさんにキャンプ場をお願いしようかな……と考えているんですが、トーキチさんはどう思います?」とケイゴは静かにささやいた。

我々は富士五湖のひとつ、西湖(さいこ)の北岸に位置するキャンプ場「ノーム」のキャンプサイトで酒を呑んでいた。この日、友人で、やはり軽井沢でキャンプ場を経営する田中ケンが「ノーム」でコールマンのキャンプイベントを開催。その夕食会にボクとアシスタントのカホが呼ばれ(厳密に言うと、夕食をごちそうになるために押しかけ)、そこに「ノーム」のオーナーであるケイゴも現れたというわけである。

ケイゴは、この「ノーム」を含む「ハマユウ・リゾート」の実質的なオーナーで、キャンプ場以外にも隣接するホテル3軒、日帰り温泉1軒も経営している。が、若干34歳の若者で、ボクのランニング仲間でもある。

ケイゴはいつでも、静かにささやく。34歳という若さだが、さすがに大きな宿泊施設を経営しているだけに、その物腰は柔らかく、穏やかな青年である。ただし、朝早いランのときには、ランニング・パンツの裏表をまちがえて履いてくるという、そそっかしい一面もあるが……。

「今は“山ガール”などふつうで、アウトドアも女性が主流といわれているし。ケイさんなら、適任じゃないかなと」

「そうだな。それはいいアイデアかも。じゃあケイには、オレから聞いておいてやるよ」とケイゴに返答し、ボクはバーボンのハイボールをあおった。

ケイゴが言う「ケイ」とは和木香織利のことで、ボクにとっては妹みたいな存在だ。ケイは、2011年、12年と連続して南米のパタゴニアで開催されたアドべンチャーレースに出場した。

その活躍ぶりがNHKの番組で紹介され、当時アウトドアに興味のある人々の間ではちょっとした「時の人」であった。実際、一緒に山を歩いていても、見知らぬ男女からよく声をかけられた。

そんなケイに、「ハマユウ・リゾート」が経営するキャンプ場「ノーム」の運営をお願いしようとケイゴはもくろんでいるのだ。

じつは、「キャンプビレッジ・ノーム」というのは、2011年に、「ハマユウ・リゾート」が「西湖レイクサイド・キャンプ場」という古いキャンプ場を買い取ってつくったキャンプ場である。ホテルの付帯施設として、体育館やバーベキューエリアを設けるのが、もともとの目的だった。

ところが、「ハマユウ・リゾート」には、アウトドアについて造詣(ぞうけい)の深いスタッフがいない。そこで、ケイに白羽の矢が立てられたわけである。

西湖の北岸は、キャンプ天国。樹海のなか、静けさが広がる。

西湖の北岸は、キャンプ天国。樹海のなか、静けさが広がる。

 

運命のいたずら

その年(2012年)、ボクはチャリティ・ランで、自宅のある河口湖から神戸までの約500㎞を、「ワラーチ」という自家製のサンダルを履いて走ることを企画していた。「ワラーチ」というのは、メキシコのインディオである「タラウマラ」という人々が愛用するサンダルで、古いタイヤを足型に切り、それに革ひもを通したビーチサンダルのような履物だ。

彼らはそのサンダルで、100マイル(約160㎞)のレースを完走するといわれている。それも、なみたいていのスピードではない。ボクは2010年にある本を通じてその「ワラーチ」の存在を知り、そこから試作を始め、2011年にはその自家製サンダルでフルマラソンに参加して3時間半ほどで完走している。

で、今回チャレンジするチャリティ・ランというのは、ボクが河口湖から「ワラーチ」を履いて走り、その間に募金を募り、まずは1995年「阪神・淡路大震災」の被災地である神戸までそれを運ぶという企画だった。

最初はアシスタントのカホにクルマで伴走してもらって神戸をめざすはずだったが、「私もそれについてゆきます」とケイが手を挙げて、結果的には3人の旅となった。

「ワラーチ・プロジェクト」にて。ケイ(中央)とカホと。

「ワラーチ・プロジェクト」にて。ケイ(中央)とカホと。

神戸行きを前にして、ケイに「ノーム」の運営計画のことを話すと、「ちょうど東京から河口湖に移り住もうと考えていたところだったので」と、ケイはあっさり引き受けた。「あっさり」引き受けるところが、いかにもケイらしい。普通なら少なくとも3秒ほど考えるだろうが、ケイの場合は即答だ。

ところが、神戸まで走っている最中。あれは確か、走りはじめて10日目くらいのことだ。場所は伊勢の鳥羽あたり。「私、どうやら妊娠しているみたいです」と、ケイはこれまた、「あっさり」と言った。毎日、25㎞ほどの距離を走ることが、妊娠初期の女性にとって良くないのは3人の誰もがわかっていたので、その日からボクとカホが走り続け、ケイはドライバー担当となった。

で、無事に神戸には到着したが、翌年の6月にベイビーが生まれるのに、4月からキャンプ場の運営などできっこない。

神戸から河口湖に戻ってきて、すぐケイゴにそのことを伝えた。ケイゴの顔が一瞬、くもった。が、「しかたないから、我々(つまり、ボクとカホ)が、当分の間ノームをやるよ」とケイゴに代替案を示したら、ケイゴは「じゃあお願いします!」と、こちらも「あっさり」口にした。

そういえば、ケイとケイゴは同い年で1982年生まれ。もしかして、1982年生まれの若者は、「あっさり」としているのかもしれない。

こうして我々は、2013年の春から、新生「キャンプビレッジ・ノーム」の運営を始めた。

「ワラーチ」で、しっかり大地を踏みしめる。

「ワラーチ」で、しっかり大地を踏みしめる。

 

アウトドア界の梁山泊に!

「西湖レイクサイド・キャンプ場」だったころ、ボクはこのキャンプ場をたびたび利用したものである。いや「たびたび利用したものである」という表現は、どう見ても控えめである。

長女が生まれて2年目にこのキャンプ場でキャンプをしているところを、当時のアウトドア雑誌の草分けである、その名も『アウトドア』のデザイナー氏が目撃。後日、その『アウトドア』誌の取材を受けたのが、モデルのボクが「アウトドア業界」にシフトする大きなきっかけとなった。

その後、1990年代初期にオートキャンプが爆発的なブームとなり、ボクは仕事を兼ねて、このキャンプ場に50日間近く滞在したこともある。いろいろなイベントも開催させてもらったし、専門学校の授業もここでやらせてもらった。いわば「因縁浅からぬキャンプ場」ともいえるのである。

まさか、その「運命のキャンプ場」の運営をすることになるとは……。

「ノーム」を運営するにあたって、ケイゴをはじめとする「ハマユウ・リゾート」の幹部たちと初のミーティングをすることになった。その席上、ケイゴが質問してきた。

「トーキチさんがノームを運営するうえで、何か抱負があれば、ぜひお聞かせ願いたいのですが……」

いきなりの質問に、ボクは数秒、考えた。だが、あくまでも数秒だ。昔から雑誌などの取材を受ける際には「セメント職人」をモジって「コメント職人」といわれるほど(誰に?)、この手のコメントは得意だ。

幹部たちをじっくりと見まわして、ボクは言った。

「ノームをアウトドア界の梁山泊(りょうざんぱく)*にしようと思います。

ここにアウトドアで活躍するいろいろな人が集い、情報交換をおこない、ここで生まれた情報をみんなが注目し、共有する……。そんな場所にしたいと思ってます」

そう言い終えて、ボクはみんなの顔を見まわした。誰も表情を変えなかったが、ただ一人、ケイゴはうれしそうにうなずいた。もちろん横に座っているカホも、静かにうなずいていることはわかった。それこそ、彼女のもっとも重要な「仕事」のひとつでもある。

ま、いいか。今すぐに反応はなくてもいい。この言葉の真の意味を、時間をかけてわかってもらえるようにすればいいのだ。

ボクの目の前に、新たなるフロンティアが広がるのを感じた。

「ノーム」のオープニ​ング・パーティであいさつするケイゴ。

「ノーム」のオープニ​ング・パーティであいさつするケイゴ。

© TOUKICHI KIMURA 2016

*梁山泊=「優れた人たちが集まるところ」の意味。中国の伝奇小説『水滸伝』(すいこでん)に由来する。

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